リーマンショック以降、日本経済の有り様は一変した。日本政府が、国内金融機関での保有債券のうちサブプライム債券比率が極めて低いことから、事の成り行きを楽観視していたために、年末に10兆円の財政出動を行っただけで、以降曖昧な態度に終始した。僅か半年足らずで、GDPが前年比で11%以上もマイナスしているという事態を前に、麻生総理、白川日銀総裁は日本経済という泥船が沈むのを傍観していたにすぎなかった。4月になって麻生内閣は、想像を絶するほどの最悪な日本経済の数字がはじき出されてようやく15.4兆円の財政支出を決定するという始末に至ったが、何もかもが手遅れだった。2度の緊急対策は、事業規模99.6兆円を標榜していたが、真水(新規財政出動)は僅かに6兆円で、他は予算の付け替えと保証だった。この、当局の圧倒的な無策が、当初軽微と言われた日本経済へのダメージを加速的に拡大した。
僅か1年前、社会は好景気と物価高騰に浮足立っていた。好景気なのだからガソリンが¥180と言われても、高いと言いつつ給油量を制限することはなかったし、相次ぐ公共料金や食品の値上げに対しても、甘んじて受け入れる雰囲気があった。だが、日本は世界で最も、しかも突出して経済的なダメージを負う先進国となりさがった。
 
 4月になると東京での治療の合間を縫って女房が週末に帰郷し始めた。新学期を迎え長女の美羽は専門課程に進み、二女の美樹は大学受験の年となった。春休みの間、美樹は東京で過ごしたが、帰るとまた最低限の家事をこなし、食事を作りながら通学しなければならなかった。
「体調はどうなの?治療は?」
「退院できたのでそれなりに・・・」
「無理するなよ」
ほとんど掃除もされずに、物の位置も乱雑になったままのリビングを見回し、溜息をついた。
「それよりも、会社大変なんですってね。美樹のことも心配だし・・・」
「なるようにしか、ならないから無理するな。それに、連休明けからケータリングを頼んだから夕食はなんとかなる」
「でも美樹は受験なのよ」
「分ってる。けど、多少の障害は乗り越えられないでどうするんだ」
「でもあの子は成績が心配で・・・」
「美樹なりに考えるさ。親がいろいろ言っても所詮は美樹自身の問題だから」
「相変わらず、子供には関心ないのね。仕事ばかりで・・・」
「そう言うなよ。いまは大変な時期だって分ってるだろう?」
「大変じゃなかったことなんて、いつだってなかった」
「おい!そういう言い方するな」
女房は目を反らし、畳まずにソファーに放置されていた洗濯物を黙々と畳んだ。
「美樹が帰ったら夕食に出るか?」
「出たくない。疲れた」
「でも冷蔵庫、何もないよ」


   女房も治療は大変だろう。いままで守ってきたこの家の、父親と娘だけの生活の結果、気に入らない部分もあることは分る。けれども、癌治療をしている女房だけでなく、家族のそれぞれが少なからず無理をしてるのだ。そしてその無理は、女房の意に沿わない形で表れることだってある。それを、一つ一つ拾って否定したら、家族の連帯感は失われてしまうじゃないか、と言いたかった。嫌気がさしてそれぞれが、勝手な方向に歩きだしてしまうだろうと思った。
 仕事ばかり、と責められることには慣れた。確かに家庭を顧みることは少なかった。というより、子育ても家事一切も女房に任せきりだったことを悔いてもいる。だが、家庭に会社でのトラブルを持ちこむことは絶対に避けたかったし、話題にすことも躊躇った。外で働いてみれば分ることだが、家族と仕事上の悩みや苦しみを共有することは、言葉で言うほど簡単ではないのだ。なんでも言い合える理想の家庭などというものは、幻想に過ぎない。そんな家庭なら、すぐに崩壊してしまうだろう。そういう感覚が、専業主婦だった女房には分らないのだろうと思った。経験がなく理解できないことをいくら説明しても、分ってもらえないことなどいくらでもある。苦しいことなど共有する必要などないし、家族というのは、お互いを無条件に受け入れる契約みたいなものだと思った。その覚悟がないなら、家族など持つべきではないと考えていた。


 危機的な日本経済の状況にあって、さすがにゴールデンウィークの海外旅行客も激減し、国内旅行はさらに壊滅的な痛手を被ると予想されていた。日本の何もかもが先行きの見えない暗雲の覆われている状況で子会社の身売りが完了すれば、僅かに40人ばかりのシステム企業となる。資本力と資産を持つ業態ではないので、蓄積してきた留保分が剥落すれば財務体質は脆弱で、先々の不安が大きかった。昨年10名近い大量の離職者を出して総務省の受託案件の進捗が滞り始めたとき、そのピンチを救ってくれたのは矢沢だった。下請けで在りながら自社の業務を極力抑えて、12名の社員内8名を出向させてくれ、社長の矢沢自らも毎日のように顔をだしてシステムリーダーの森田をフォローしてくれていた。そんな矢沢に、合併話を持ちかけてもいたが、日々の多忙な業務と、子会社の処置に忙殺され、話は立ち消えていた。
 25日の子会社身売りの調印式が終わって連休直前の28日に、総務省の行政管理システムを共同受託していたF社の社長を招いてフェイズ1の完成を祝った。F社にしても受注総額が2年で26億が見込まれる案件は決して小さくはなかったし、当社にとっては命綱だった。
 その席に同席させようとしたシステムリーダーの森田が緊急案件でどうしても時間がとれず、代わりに矢沢を伴って築地の懐石で会食の後、社用で何度か使っていた隣市のクラブへ。ゴタゴタ続きで2年ほど前に使って以来だった。


   クラブ「ラ・ネージュ」は関東の地方都市では随一の高級クラブとして通っていた。地方とはいえ3都市に十数件ものクラブやスタンドバー、カラオケスナックに喫茶店を展開する外山商事の旗艦店として10年前に鳴り物入りでオープンした店だが、この不況で社用族の利用が減り客足はガタ落ちらしかった。F社幹部は、当社に関する懸念も払しょくできたと見えて和やかな雰囲気となり、小一時間ほどの接待は終了した。そして迎えのタクシーにほろ酔い気分の幹部達を見送った美佐江ママが戻ってきた。
「社長、2年も御無沙汰過ぎるわよ」
「忘れてた」
「おいおい、カオル、ふざけるなよっ」
夜のメイクの美佐江ママは妖艶で、外山商事は美人ママで持ってると言われた。反面、美佐江ママはさっぱりした性格でケレン味をまったく感じさせない素直な女性だった。最初のきっかけは恵子だった。高校時代からの親友の店がオープンすると聞かされて、それなら、とお決まりの胡蝶蘭を贈答花し、落ち着いたころ恵子と佐倉を伴って顔を出した。その時に美佐江ママと意気投合し、恵子と三人で外山商事の店を5軒梯子した。以来2ヶ月に一度くらいは主に社用で通うようになったが、経営相談がきっかけで徐々に昼に二人で会って珈琲を飲みながら愚痴を言い合う仲になった。
「カオル、オケイ(恵子)からちょっと聞いたけど・・・」
「まぁね、いろいろあったよ」
矢沢は美佐江ママが「カオル」と呼ぶことにニヤケながら「親しいんですね」と言った。
「この女は、こう見えてほとんど男だからさ」
「失礼ね」
そう言って両手で胸を持ち上げ、「本物よ」と言いながら左右に揺する仕草をした。
「相変わらず品のないママだな」
「何よ、カオルの席だけよ」
確かにいつもの美佐江ママは、「下半身ネタで店のグレードを下げさせない」が口癖だった。
「ねぇ、お店替わろうか?」
「出られるんだ?」
「今日の客層はチーママで十分」
と美佐江ママは耳元で囁いた。