「社長、ライブドアが大変みたいですよ。いま、ニュース、やってます。」
「ああっ!?」
フロアの若い社員の声。すぐに社長室でテレビをつける。
多くの報道陣の中、一様に黒っぽいコートを着た男達が六本木ヒルズのエントランスへ続々となだれ込んでゆくシーン。降り注ぐようなフラッシュと周到に準備されたテレビカメラを背景に記者がその模様を中継していた。漠然と「なぜ、家宅捜査の時間と場所がわかる?」と不思議に感じた。後日、こういうケースでは必ず地検からマスコミへ情報のリークがある、と聞いた。東京地検特捜部の家宅捜索は「しっかり報道しなさい!」という演出込みなのだ。同じコメントを繰り返し伝えるアナウンサーの音声が煩かかった。冬晴れだった午前中とは打って変わって午後になるとどんよりと曇って、午後四時頃には気温もぐっと下がってきた。東京も寒いのかな?と思った。


「社長、大丈夫なんですか?」
若い社員達を自分の子供のように巧みに操って、フロアをまとめている総務の井上さんが珈琲を持ってきてくれた。
「大丈夫じゃないよ。会社の取引は大した金額じゃないけど・・・」
「ならよかった」
「でも、ヤラレたよ。株持ってるからな、明日暴落だろう」
繰り返し放映される地検の侵入シーンを俺と井上さんは、しばらく無言で観ていた。明日、ストップ安になって寄り付かずに大量の売り注文で張り付いてるシーンを俺は思い浮かべた。彼女はなかなか退室しようとはしなかった。きっとその夜の二人の約束はどうなるのか、と確認したかったに違いなかった。
10分ほどしてテレビを消し、すすった珈琲はすっかり冷めてしまっていた。
「入れなおしましょうか?」
「悪いね、うんと熱いのを・・・」
そう言って唐突に井上さんを引きよせ、強引にキスした。
「あっ、ダメ、ダメ、口紅、崩れちゃう・・・」
そう言いかけて彼女は、条件反射のように舌を絡ませ応えた。それが予定通り、の合図になった。


 前の年の11月にライブドア株を¥550前後で20000株買った。10月には子会社になっていたターボリナックス株を¥400,000前後で40株ほど買っていた。ライブドアとは僅かだが半年前から取引を始めていたし、ターボリナックスは上場前からの付き合いがあった。過去に何度も社長と面談し、意気投合もしていたけれど、共同企画はなかなか進まなかった。3年ほど前に社長と食事をしたとき、資金的に苦しいというニュアンスが伝わってきた。
「東京はいろいろ高いだろうから・・・」
俺がそういうと、
「某社のバックアップを受けるかもしれません」
と彼は答えた。
「うちじゃ、大したことできないから・・・申し訳ない」
と俺は素直に頭を下げた。同じ経営者として資金繰りの苦労は痛いほど分る。
1年後、突然ライブドア参加入りとの報道があったけれど、彼からは連絡も挨拶もなかった。それだけで、辛い立場にいることを察することができた。
買ってから(インサイダー規定に抵触するかも)と思ったが気にするのをやめていた。
 
仕事が引けていつもの総合病院の駐車場で待ち合わせ。目立たぬようにファミレスで軽く食事をして、大急ぎで隣町のホテルへ。井上さんが軽い言い訳で済む時間にはホテルを後にした。別れた後、俺は後ろめたさもあって、すぐに帰宅せずに行きつけのBARに寄って軽く飲むのが常だった。不倫関係。けれどその夜はなかなか酔えずにグラスを重ねた。バーボンの臭みも鼻に付かなかったから、続けて何ショットも飲んだ。そしてマスターに肩を揺らされるまで、カウンターに伏せって寝てしまったらしかった。

 5日連続ストップ安の後6日目に寄りついたライブドアの株価は¥164だった。ターボリナックスも半値での寄り付き。一週間以上続いた憂鬱な日々の後に判決が下され、ライブドアでは770万、そしてターボリナックスで800万が消えた。常に資金需要が旺盛で、上場準備にもカネがかかったから個人資金を湯水のごとく注ぎ込んだ。そしてこのままでは、増資できないからと勝負に出た株式が1/3になるという苦痛。もはや虎の子と言える2700万は1200万ほど残して溶け落ちた。
「このままじゃ、増資どころか娘2人を大学にもやれない・・・」
少々冷静になれば悪夢のような現実だった。


 蓋を開けてみれば日本中を熱狂させたライブドアという会社はまさに虚業だった。事業の主力は街金と出会い系サイト。ポータルからはほとんど収益が上がらず、僅かにポスレンというDVDレンタル事業とブログ事業が軌道に乗っているにすぎない。傘下の不動産事業は常に黒い噂に包まれていたし、中古車販売は慢性的に赤字だった。結果的にそんな会社に投資したわけだから、憂き目に会うのも仕方ないのだろう。けれども、あのフィデリティでさえ、株主に名を連ねたし、自民党の幹事長は「堀江君は息子」と言ってのけていた。そしてメディアは堀江氏を時代の寵児と囃したわけで、ライブドアに投資するのは必然に近かった。まるで日本を代表する企業に成長するかの幻想をメディアを通して日本中が見ていたのだ。
 商売上の損失は回収できないとすれば数百万で、さほど影響はないと思っていた。それよりも「あの人(堀江社長)は、今、どんな心境なんだ?」と、以前僅かな時間面談したときの傲慢な口調を思い出して思った。資産数千億円ともいわれ、まさに日本を鷲掴みにしようとした彼の手は、山ともられた砂金をつかんだのだ。だがそれは砂であるがゆえに、みるみる彼の手の隙間から零れ落ちていった。
そしてこの事件の後、共振するかのように俺の何もかもが逆回転を始めてしまった。